Angels-Lily
還暦から始めたブログも14年目を迎えます。 古希を過ぎると体力が落ちてきました。 のんびりと登山やWalkingをしていきます。 Copyright (C) 2007-2020 Angels-Lily All rights reserved.
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カテゴリー「日記」の記事一覧
- 2025.03.04 [PR]
- 2010.09.09 山友の幌尻岳登山記録
- 2010.09.06 槍ケ岳初登頂ルート踏破
- 2010.09.05 早朝の上高地より
- 2010.09.04 無事下山、上高地より
- 2010.09.04 焼岳より
山友の幌尻岳登山記録
- 2010/09/09 (Thu) |
- 日記 |
- CM(3) |
- Edit |
- ▲Top
私の山友が日高山系幌尻岳へ8月22日から登るといって出かけていた。しかし24日には天人峡温泉では道路が 流され、死者も出ているとのニュースが流れていて天候や計画がどうなっているか心配していた。しかし天 気も回復して登山が出来、そのときの様子と写真が送られてきたので私のブログに掲載することにした。
23日(日)は平取りの民宿沙流川荘まで行ったがこの日の夜から大雨で翌24日朝も大雨で登山禁止となる。 25日雨は上がるが、川の水位は下がらずこの日も停滞し2日目。山荘に缶詰にされていたツアー登山の人た ちは午前中に登頂、午後から下山開始との連絡があり我々は安全を期して26日に行動することに決定したと のこと。26日1:30AM起床し2:30の豊糠山荘のマイクロバスにピックアップされ4:004時に第二ゲートから スタート。第二ゲートから取水口まで5Kmは荷物を運んでもらい取水口で朝食を取り、ここから額平川に 入る。
30分くらいのところで第一渡渉点。ここで登山靴を沢用の靴に履き替え、以後水は腰の辺りまであり 予想より厳しい渡渉の連続となる。

4回目の渡渉点は腰の上程度までの水があり、流れが速く危険な状態。 河原の石に埋め込みボルトがあったのでザイルを出し、そこを基点に確保しながらの渡渉。写真がブレてい て、臨場感がありますね。ストックが激しい流れのためブルブル震えます。前に出す足も流れに流されてし まいます。必死に踏ん張って体勢を立て直してから次の一歩を出します。渡渉点には赤テープの目印が一応 あるが、テープがなかなか見つからないしテープが無いところも多く河原の石のもペンキなどの指示が無い 。河原にもルートの指示が無く、北アルプスなどと比べると全く何も整備されていないそうだ。
幌尻小屋に着き、 登山靴に履き替え頂上まで3時間11:30頂上着し天気は晴れで雄大なカールの眺めだったとのこと。再び山荘 に戻り、沢スタイルに変えて渡渉開始したが下りの渡渉は、のぼりよりも渡渉点が見つけにくく時間がかか り、再び止水口に着いたのは17:17分頃。ここから5km先の第二ゲートまで林道歩き18:20過ぎ暗くなり 始め、やっと車にピックアップしてもらい民宿に着いたのは20:30過ぎだったとのこと。幌尻岳は天候(特 に雨で川の増水で足止めされ何回も挑戦をしている100名山ハンターにとっては鬼門の山だが、山友たちは1 回の挑戦で登頂できたのはすばらしいですね。おめでとうございました。(記録及び写真提供は山友の日々 好日さんからです)最後にこんなコメントがありましたのでこれから行く方は参考にしてくださいね。『今 回危険な状態ではなかったですが、かなり緊張を強いられました。渡渉で流された人もいなかったようです が、もう少し増水したら危険な状態になるでしょう。額平川の水量でこの山の難易度が変わります。膝下で あれば何度問題もありませんが、腰より上となると難しくなります。』
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23日(日)は平取りの民宿沙流川荘まで行ったがこの日の夜から大雨で翌24日朝も大雨で登山禁止となる。 25日雨は上がるが、川の水位は下がらずこの日も停滞し2日目。山荘に缶詰にされていたツアー登山の人た ちは午前中に登頂、午後から下山開始との連絡があり我々は安全を期して26日に行動することに決定したと のこと。26日1:30AM起床し2:30の豊糠山荘のマイクロバスにピックアップされ4:004時に第二ゲートから スタート。第二ゲートから取水口まで5Kmは荷物を運んでもらい取水口で朝食を取り、ここから額平川に 入る。

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槍ケ岳初登頂ルート踏破
- 2010/09/06 (Mon) |
- 日記 |
- CM(1) |
- Edit |
- ▲Top
今夏私が登った槍ケ岳(そのときの日記はこちら)(3180m)に初登頂した修行僧、播隆上人(1786~1840年)を案内した中田又重(1795~1852年)の子孫2人 が、安曇野市三郷小倉の自宅近くから蝶ケ岳(2677m)などを越える初登頂時とほぼ同じルートを踏破した そうだ。登ったのは中田喜夫さんと中田信一郎さんで、28日早朝、2人は又重の墓に手を合わせて安全祈願し 、大滝山(2616m)などを越えて蝶ケ岳へ登り2日目は蝶ケ岳の稜線から槍見沢脇の尾根を槍沢への登山道に 向けて下った。尾根には登山道がなく、急な斜面が連続で背丈以上あるササなどをかき分けながら進み30日 昼すぎ、槍ケ岳山頂に着き文献では分からない実際の苦労が分かったといている。我々は上高地から槍沢を 登ったが先人はたいへんな思いで登ったのですね。
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