Angels-Lily
還暦から始めたブログも14年目を迎えます。 古希を過ぎると体力が落ちてきました。 のんびりと登山やWalkingをしていきます。 Copyright (C) 2007-2020 Angels-Lily All rights reserved.
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カテゴリー「ボランティア」の記事一覧
- 2025.01.22 [PR]
- 2011.09.28 気仙沼・大島のボランティア活動その2
- 2011.09.27 気仙沼・大島ボランティアレポその1
- 2011.09.22 気仙沼・大島へボランティア活動
- 2011.09.10 裏高尾の森のボランティアへ
- 2011.09.01 陸前高田市災害ボランティアに参加して(最終回)
気仙沼・大島のボランティア活動その2
- 2011/09/28 (Wed) |
- ボランティア |
- CM(0) |
- Edit |
- ▲Top
朝起きて宿の近くの浜に行ってみました。
宿の前の坂道を下っていきますが景色の中に倒れかけて電柱が痛ましいです。
快水浴場100選に入っている小田の浜海水浴場です。(快は誤字ではありませんよ)
見た目にはとてもきれいな海水浴場で砂浜もきれいに見えますが遠浅だった海は地盤沈下ですぐ深くなっていますし松原の松も枯れだしています。
宿のすぐ近くには石碑がありました。
明治と昭和の大地震で大津波があったことが記されていてそのとき義援金などを頂いたお礼などが記されていました。
この石碑まで登れば安全な場所になっています。
そして昨日に続き田んぼの草刈と瓦礫の撤去です。
9:00に現場に行き作業内容をして再確認です。
写真は今日午前中までの作業結果の写真です。田んぼらしく畦道もはっきり見えてきました。昨日の日記の写真と比べてみてください。
女郎蜘蛛が秋空に金色に輝く網を張って待っています。
今回は天気に恵まれ作業がはかどりましたが寒くなってくると外での作業はどうなるでしょう。今日の作業はここまでとさせていただきました。
昨日の写真も今日の写真も現地の責任者の許可を得て撮影しました。
そして午後からは私たち12名が今後の復興のお手伝いに何が出来るかを模索するために宿の若旦那とバスで主要な名勝へ案内してもらいました。今回の大津波が大事な観光資源に大打撃を与えたのを目のあたりにしましたがその現状を把握でき今後私たちの活動計画を現地のしかるべき組織と話し合ってi
きたいと思っています。
視察したときの写真は明日Upいたします。
明日へ続く・・・
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宿の前の坂道を下っていきますが景色の中に倒れかけて電柱が痛ましいです。
快水浴場100選に入っている小田の浜海水浴場です。(快は誤字ではありませんよ)
見た目にはとてもきれいな海水浴場で砂浜もきれいに見えますが遠浅だった海は地盤沈下ですぐ深くなっていますし松原の松も枯れだしています。
宿のすぐ近くには石碑がありました。
明治と昭和の大地震で大津波があったことが記されていてそのとき義援金などを頂いたお礼などが記されていました。
この石碑まで登れば安全な場所になっています。
そして昨日に続き田んぼの草刈と瓦礫の撤去です。
9:00に現場に行き作業内容をして再確認です。
写真は今日午前中までの作業結果の写真です。田んぼらしく畦道もはっきり見えてきました。昨日の日記の写真と比べてみてください。
女郎蜘蛛が秋空に金色に輝く網を張って待っています。
今回は天気に恵まれ作業がはかどりましたが寒くなってくると外での作業はどうなるでしょう。今日の作業はここまでとさせていただきました。
昨日の写真も今日の写真も現地の責任者の許可を得て撮影しました。
そして午後からは私たち12名が今後の復興のお手伝いに何が出来るかを模索するために宿の若旦那とバスで主要な名勝へ案内してもらいました。今回の大津波が大事な観光資源に大打撃を与えたのを目のあたりにしましたがその現状を把握でき今後私たちの活動計画を現地のしかるべき組織と話し合ってi
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気仙沼・大島ボランティアレポその1
- 2011/09/27 (Tue) |
- ボランティア |
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高尾の森の会ボランティア仲間有志12人と気仙沼・大島へボランティア活動に行ってきました。今後継続して気仙沼・大島の支援に協力できるかの調査も兼ねていきましたので島内視察についてもレポしていきます。私たちが継続して出来る作業があればもっと多くの参加者を募り、復興の応援をしていけたらと思っています。
9/22 17:30自家用車で横浜を出発しましたが首都高速の大渋滞にはまってしまい一関市の道の駅かわさきに到着したのは23日の1:30過ぎになってしまいました。
この道の駅は24時間休憩室が開放されていた空調まできいています。そして休憩室の奥には畳の座敷まであります。
私たちはシェラフを持っていったのでそれに包まり5:30までぐっすり眠ることが出来ました。寝酒も飲みましたが・・・
私の車のほか2台も到着していて朝食を食べて6:00には出発です。道の駅のすぐ近くにはコンビニが2件、GSもありとてもべんりな場所です。
7:00前に気仙沼港に到着しましたが液状化でしょうかマンホールが浮き上がっていますし地盤沈下も見られます。
まだまだ片付いていないところが見受けられ心が痛みます。
7:20発のフェリーボートがやってきました。広島からの災害援助で大島汽船に寄贈されたフェリーです。
定刻どおりエースポートを出航し湾内を進み漁船も多く停泊していますが気仙沼魚市場への水揚げは激減しているのでしょうね。
大島に到着後今回の宿泊先旅館椿荘へ向かい作業着に着替えて気仙沼大島災害対策本部事務局へ向かい今日の作業場所と作業内容を聞いて現場に向かいます。
現場で注意事項作業内容を再確認して活動開始です。田んぼのようですが背丈まである草が生い茂り作業が難航しそうです。水深もあり長靴がもぐってしまうので板などを浮かべて足場を確保しながらで効率が悪いです。
草を刈って瓦礫を見つけやすくしその瓦礫を片付けていきます。草刈と瓦礫片づけを分担し総勢70人くらいでの作業ですがみんな泥沼にてこづっています。
それでも午前、午後の作業で生い茂っていたの草も6割くらいは刈り取ったでしょうか。
作業成果が目に見えるのは達成感があります。明日もがんばるぞ!
16:00に作業終了して宿へと帰ります。
そしてこちらがお世話になった旅館椿です。
部屋からの景色はとても美しいのですが松が枯れ出しているのが大津波あったことを見せ付けています。
災害ボランティア価格で1泊¥5,000.-で宿泊させていただいていますがボリュームのある夕食です。
食事の後はこの宿の若旦那が大地震のときの様子と大津波についてビデオや写真で説明してくれました。そして復旧から復興へと進んでいきたいとの熱い思いを語りアイデアなどを参考にしたいとの要望があり私たちのほかの参加者たちと話し合いました。どこまで若旦那の話をブログに書いてよいかわかりませんので今日のレポはここまでにしておきます。
明日へ続く・・・・
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9/22 17:30自家用車で横浜を出発しましたが首都高速の大渋滞にはまってしまい一関市の道の駅かわさきに到着したのは23日の1:30過ぎになってしまいました。
この道の駅は24時間休憩室が開放されていた空調まできいています。そして休憩室の奥には畳の座敷まであります。
私たちはシェラフを持っていったのでそれに包まり5:30までぐっすり眠ることが出来ました。寝酒も飲みましたが・・・
私の車のほか2台も到着していて朝食を食べて6:00には出発です。道の駅のすぐ近くにはコンビニが2件、GSもありとてもべんりな場所です。
7:00前に気仙沼港に到着しましたが液状化でしょうかマンホールが浮き上がっていますし地盤沈下も見られます。
まだまだ片付いていないところが見受けられ心が痛みます。
7:20発のフェリーボートがやってきました。広島からの災害援助で大島汽船に寄贈されたフェリーです。
定刻どおりエースポートを出航し湾内を進み漁船も多く停泊していますが気仙沼魚市場への水揚げは激減しているのでしょうね。
大島に到着後今回の宿泊先旅館椿荘へ向かい作業着に着替えて気仙沼大島災害対策本部事務局へ向かい今日の作業場所と作業内容を聞いて現場に向かいます。
現場で注意事項作業内容を再確認して活動開始です。田んぼのようですが背丈まである草が生い茂り作業が難航しそうです。水深もあり長靴がもぐってしまうので板などを浮かべて足場を確保しながらで効率が悪いです。
草を刈って瓦礫を見つけやすくしその瓦礫を片付けていきます。草刈と瓦礫片づけを分担し総勢70人くらいでの作業ですがみんな泥沼にてこづっています。
それでも午前、午後の作業で生い茂っていたの草も6割くらいは刈り取ったでしょうか。
作業成果が目に見えるのは達成感があります。明日もがんばるぞ!
16:00に作業終了して宿へと帰ります。
そしてこちらがお世話になった旅館椿です。
部屋からの景色はとても美しいのですが松が枯れ出しているのが大津波あったことを見せ付けています。
災害ボランティア価格で1泊¥5,000.-で宿泊させていただいていますがボリュームのある夕食です。
食事の後はこの宿の若旦那が大地震のときの様子と大津波についてビデオや写真で説明してくれました。そして復旧から復興へと進んでいきたいとの熱い思いを語りアイデアなどを参考にしたいとの要望があり私たちのほかの参加者たちと話し合いました。どこまで若旦那の話をブログに書いてよいかわかりませんので今日のレポはここまでにしておきます。
明日へ続く・・・・
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気仙沼・大島へボランティア活動
- 2011/09/22 (Thu) |
- ボランティア |
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8月は大槌町、陸前高田へ遠野まごころセンターから震災ボランティアにいってきたが(そのときの様子はこちら)今回は高尾の森の会ボランティア仲間12人と気仙沼・大島へ個人参加でボランティア 活動に行ってきます。今後継続して気仙沼・大島の支援に協力できるかの調査も兼ねていきます。私たちが継続して出来る作業があればも っと多くの参加者を募り、復興の応援をしていけたらと思っています。今夜自家用車で出かけますが高速道路は災害派遣従事車両証明書を もらっているので無料です。あすからは現地からUpします。
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裏高尾の森のボランティアへ
- 2011/09/10 (Sat) |
- ボランティア |
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今日は高尾のボランティアの定例作業日です。だいぶ涼しくはなってきたので作業しやすいと思いますが、今月から間伐作業で木を切り倒 すので注意が必要です。明日11日からは津和野・萩・秋吉台・広島・宮島・倉敷・尾道へ旅行に行くので怪我しないように作業しなくてはい けません。まだまだこの時期はキイロスズメバチが地面の中などに巣を作っているのでうっかり踏みつけたりしたら大変です。スズメバチ トラップを仕掛けて作業しますが結構入るものですね。白い服を着てスズメバチが寄ってこないよう対策して作業しますが飛んでいるのを 見ると怖いですね。スズメバチは町の中でもまだ活動が活発なので皆さんも木をつけましょう。
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陸前高田市災害ボランティアに参加して(最終回)
- 2011/09/01 (Thu) |
- ボランティア |
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8月27日作業最終日6:00 起床し部屋は次便31便のかたが到着し荷物を置くので朝のうちに荷物は多目的棟に移動します。今日は個人参加の位置づけでなの で金太郎号はつかえません。到着する31便が使いますバスに乗っていけませんので遠野まごころネットへむけて31人徒歩で出発しました。 7:00すぎ、遠野まごころネット(こちらのHP)に到着しラジオ体操のあと、朝礼開始。今日も全体で400名だそ うです。『ボランティア作業には、終了期限・ノルマはありません』というお話は昨日も聞いているのですがついついがんばってしまいま す。
今日の作業地域は、陸前高田と決まりました。個人や大学・企業のかたとバスに分乗します。川の駅よこた到着し十数分のトイレ休憩 ご出発すると数分で、流されたJR線の橋脚など津波の痕跡が車窓に見えはじめます。陸前高田市街を通りましたがコンクリート建物がポ ツンポツンとあるだけです。中心部だったと思われる交差点を右折すると、すぐに報道でよくみる『一本松』を見ることができました。少 し茶色っぽいですが枯れることなく高田松原の復活を見守ってほしいですね。陸前高田市気仙の現地に到着し一般参加枠120人を10人くら いのグループ分けを行い諸注意ならびに地震(津波)の際の避難方向などを確認して、作業場所へ移動して作業開始します。このあと遅れ ている80人も合流し200人での作業になりました。今日は、重機が入ったあとの土地での作業で、キャタピラーのわだちの跡が瓦礫とまぎ らわしいです。また昨日までの場所より乾燥しているのか、土埃もあります。12:00山の斜面の日陰で昼食をとっていると女性の団体に囲 まれてしまいました。日経ウーマンの募集団体でした。地元のボランティアの方でしょうかカメラで撮影に来ました。そのときのお話はこ の地区が一番瓦礫が片付いて、野菜などの収穫が出来ているとの感謝のお話を伺い、小石や小さな瓦礫の破片、ガラス片を除去する地道な 作業の大事さがわかりました。
作業を終了し17:010金太郎ハウスに到着し荷物整理を終えたころ所長が登場し集合写真をとってバスへ荷物 を積み込んで所長・スタッフ・岩手31便のみなさんに見送られながら出発です。18:30ごろ 東和温泉に到着し温泉でゆっくり湯船につかり ひげをそってさっぱりとして久しぶりの食事らしい夕食です。もちろん生ビールも!22:00ころ東和ICから釜石道に入ってからバスの中 で最後のMeetinngです。今回の振り返りをおこないましたがみなさん、これからに前向きなのが印象的でした。
帰りのバスで参加者の皆さんが熱く語ったこと
・自分は何も無くなってしまった風景しか知らないけれど、街がまたできあがるまでずっと関わっていきたい。 ・作業の成果より、心をこめることが大切。
・お豆腐屋さんに連れていってもらったり、語り部さんの昔話をきけたり、思い出もできて嬉しかった。
・ボランティアの目線と被災者の目線は違うと思う。現地に暮らし続けていくのは私達ではなく「彼ら」。彼らを後押しする気持ちで活 動してほしい。 ・
自分の世代は恐らく復興を見届けることはできない。だからこそ次の世代に伝えていきたい。
・ボランティアという言葉より「支援」という方がふさわしい気がする。ボランティアすることがメインではなく「なぜボランティアが 必要か」「人々はなぜそれを必要としているのか」こそが大切。
写真撮影について
・現場で黙々と作業するたくさんのボランティアの姿を見たとき、とても感動した。できればその光景や「希望」を写したかった。
そして「まだまだ人の手が必要」「これからもできることを続けていきたい」「感じたこと、見てきたことをまわりに伝えていきたい」 という言葉は、ほぼ全員から発せられました。 そ
して5:00ごろ横浜駅天理ビル前に到着し荷物を受け取り、おのおの帰路へ。 スタッフのみなさん・運行支援のみなさん、そして岩手30便のみなさん、ありがとうございました。
私は次の災害ボランティアは森林ボランティア仲間で9月23~25日に気仙沼・大島に12人位で行く計画をしています。未曾有の災害復興に は継続したボランティア活動が重要だと実感したそして実行しようと思います。
再度被災地の写真撮影禁止についてのお願い
被災者の方で、撮影されることが嫌な方がいらっしゃるからです。
今日の作業地域は、陸前高田と決まりました。個人や大学・企業のかたとバスに分乗します。川の駅よこた到着し十数分のトイレ休憩 ご出発すると数分で、流されたJR線の橋脚など津波の痕跡が車窓に見えはじめます。陸前高田市街を通りましたがコンクリート建物がポ ツンポツンとあるだけです。中心部だったと思われる交差点を右折すると、すぐに報道でよくみる『一本松』を見ることができました。少 し茶色っぽいですが枯れることなく高田松原の復活を見守ってほしいですね。陸前高田市気仙の現地に到着し一般参加枠120人を10人くら いのグループ分けを行い諸注意ならびに地震(津波)の際の避難方向などを確認して、作業場所へ移動して作業開始します。このあと遅れ ている80人も合流し200人での作業になりました。今日は、重機が入ったあとの土地での作業で、キャタピラーのわだちの跡が瓦礫とまぎ らわしいです。また昨日までの場所より乾燥しているのか、土埃もあります。12:00山の斜面の日陰で昼食をとっていると女性の団体に囲 まれてしまいました。日経ウーマンの募集団体でした。地元のボランティアの方でしょうかカメラで撮影に来ました。そのときのお話はこ の地区が一番瓦礫が片付いて、野菜などの収穫が出来ているとの感謝のお話を伺い、小石や小さな瓦礫の破片、ガラス片を除去する地道な 作業の大事さがわかりました。
作業を終了し17:010金太郎ハウスに到着し荷物整理を終えたころ所長が登場し集合写真をとってバスへ荷物 を積み込んで所長・スタッフ・岩手31便のみなさんに見送られながら出発です。18:30ごろ 東和温泉に到着し温泉でゆっくり湯船につかり ひげをそってさっぱりとして久しぶりの食事らしい夕食です。もちろん生ビールも!22:00ころ東和ICから釜石道に入ってからバスの中 で最後のMeetinngです。今回の振り返りをおこないましたがみなさん、これからに前向きなのが印象的でした。
帰りのバスで参加者の皆さんが熱く語ったこと
・自分は何も無くなってしまった風景しか知らないけれど、街がまたできあがるまでずっと関わっていきたい。 ・作業の成果より、心をこめることが大切。
・お豆腐屋さんに連れていってもらったり、語り部さんの昔話をきけたり、思い出もできて嬉しかった。
・ボランティアの目線と被災者の目線は違うと思う。現地に暮らし続けていくのは私達ではなく「彼ら」。彼らを後押しする気持ちで活 動してほしい。 ・
自分の世代は恐らく復興を見届けることはできない。だからこそ次の世代に伝えていきたい。
・ボランティアという言葉より「支援」という方がふさわしい気がする。ボランティアすることがメインではなく「なぜボランティアが 必要か」「人々はなぜそれを必要としているのか」こそが大切。
写真撮影について
・現場で黙々と作業するたくさんのボランティアの姿を見たとき、とても感動した。できればその光景や「希望」を写したかった。
そして「まだまだ人の手が必要」「これからもできることを続けていきたい」「感じたこと、見てきたことをまわりに伝えていきたい」 という言葉は、ほぼ全員から発せられました。 そ
して5:00ごろ横浜駅天理ビル前に到着し荷物を受け取り、おのおの帰路へ。 スタッフのみなさん・運行支援のみなさん、そして岩手30便のみなさん、ありがとうございました。
私は次の災害ボランティアは森林ボランティア仲間で9月23~25日に気仙沼・大島に12人位で行く計画をしています。未曾有の災害復興に は継続したボランティア活動が重要だと実感したそして実行しようと思います。
再度被災地の写真撮影禁止についてのお願い
被災者の方で、撮影されることが嫌な方がいらっしゃるからです。
貴重な記録として真摯な気持ちで撮影される方なのか、面白半分で撮影される方なのか、撮影しているその姿からの見た目では判りません。
自分の肉親や知人が亡くなった場所をボランティアという赤の他人が入れ替わり立ち代り来て、その悲しみの場所を毎日写真撮影されたらどう感じるでしょうか。
被災者のために行って、被災者の嫌がってまで撮影する理由が分かりません。